こんにちは!営業一筋20年、営業マンお悩み解決ブロガーのタッピー(⇒プロフィールはこちら)です。
前回は、僕のプロフィールと理念についてご紹介しました。
今回からは、僕の少年時代からの生い立ちを、4記事に分けてご紹介してみたいと思います。
まずは【第1話】病気がちだった少年時代というテーマで、病弱だった幼少期からの僕の生い立ちについてご紹介いたします。
【第1話】病気がちだった少年時代
幼少期の頃
僕は、自営業の父親の長男として生まれました。
四方を海に山に川に囲まれた、とても自然豊かな田舎で育ちました。
子供のことには無関心で仕事ばかりの父親。
子供と遊ぶなんてことはほぼなく、どこかに家族みんなで遊びに行った記憶なんて一度もありません。
そして、常に子供のことを第一に考えてくれるやさしい母親。
母親は若くして僕を産んだので、友達と遊びに行くといった青春時代もなく、子育てに明け暮れる日々だったと思います。
家庭はとても裕福とは言えませんが、貧しいながらも幸せに育ててもらいました。
母親は僕を大学に通わせるため、日中の仕事を終えて帰宅後すぐに夕食を作り、また夜のアルバイトに出て僕の学費を稼いでくれていました。
そんな僕の幼い頃はと言うと、
「神経質で小食、体が弱く、とても病気がちな子供」
母親が大好きで、母親の元から離れられない甘えん坊でした。
そんな僕は、子供の頃とても病弱で、何度も入退院を繰り返していたのです。
小学生の頃
まず最初の出来事は、小学1年生の時。
いつものように、トイレに行って小便をした時のことです。
突然、小便から赤い血が出て、その後緊急入院。
病名はすでに覚えておりませんが、2週間ぐらい入院したと記憶しています。
これが、僕が経験した初めての病気で、その後次々と入退院を繰り返すようになります。
その次は、小学4年生の時。
久しぶりに会った親戚から、
「顔がむくんでない?」
と言われ、病院に行って検査してみたところ、
「この子は急性腎炎です。」
と診断されました。
1か月ぐらいだったような…、また入院して減塩食と呼ばれる「塩気がない、おいしくもないご飯」を食べ続けた記憶があります。
その後、小学6年生の時には全身にじんましんのような発疹が出て、病院で検査してもらうと、
「血液の血沈という値が大人の何十倍!」
訳も分からず、またまた緊急入院。
地方の病院では原因が分からず、
「この子は、ガンか膠原病かも・・」
と、先生から言われたことをいまだに覚えています。
「僕は普通の子と違う」
「いつか近いうち死ぬのか」
いつも死を間近に感じる自分がいました。
そんな原因不明の病気のため、都会の大学病院に2か月間も入院。
日々モルモット状態で、小学生の僕の腕には無数の注射のアザが残っていました。
こんな病弱な子なので、親にはとても苦労をかけたと思います。
母親が、病院の先生の前で泣き崩れていたのを何度となく見て、今でもその光景は鮮明に覚えています。
高校生の頃
また高校1年生の時には入学した当初の健康診断でひっかかり、今度は学校で1人だけ「肺結核」になります。
周りに感染する危険があるため、また2か月ぐらい自宅療養となりました。
これが僕の少年時代、冗談のような本当の話。
入退院を繰り返していたので、ろくに就学旅行にも行っていません。
小学生時代、修学旅行に行けなかった少年が、どれだけショックだったことか…。
その後は、大きな病気をすることもなく大人になっていったのですが、幼少期の病気のおかげもあってなのでしょうか・・・
「僕自身、どこか人より冷めているというか」
「心が、スレているというか」
いつも、本気で楽しめていない自分と、物事を客観的に見ている冷めた自分が存在します。
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⇒【第2話】とりあえず決まった営業マンという道《次はココ》